私は専門家ではないのだが、という話

江戸川区の片隅で、お客さんの9割がカウンターで長居をするカフェを営んでいる者です。

 

自分のカフェの売りはカレーだが、最近は自分がいつでも食べたいという理由でおでんを始めた。一部の層からは『コンセプト的におでんはどうなのか。ブレを感じずにはいられない』とのお声を頂いた。貴重な御意見は有難いが、おでんは春までやる。私は気に入っているのだ。

 

先日、月一恒例のカウンセリングに行ってきた。今年初頭に鬱で動けなくなってから私はカウンセリングに通っている。人によって効果は様々だしカウンセラーとの相性も大きいので万人向けではないと思うが、少なくとも私自身はカウンセリングに救われた。

冒頭の通り現在の私はカフェを営んでいる経営者で、ひとりで週6日店を時間通り開けることが出来ているので、鬱の症状としてはかなり落ち着いてきていると言える。

 

盛夏の頃であったか、担当カウンセラーより『もうカウンセリング必要ないかも...』とおずおずと切り出された事があったが、全力で継続を申し出た。何のてらいも駆け引きもなく、自分の想いを吐露出来る場は貴重だ。何でも話を聞いてくれる優しいスタッフがいるカフェなんかが近くにあるならいざ知らず(うちの店か)、現在の私にとって、まるで母の如く全てを包み込んでくれるカウンセラー(初老の女性)の存在は唯一無二だ。母親からの愛情を感じずに成人したので尚更そう感じるのかもしれぬ。

 

そんなこんなのカウンセリングであるが、最近カウンセラー側からの『もうやめてもいいんじゃないかしらオーラ』を感じなくなっていた。

何故か。

私から不安定の波の気配を感じとっているからではない。

 

明らかに私の話を楽しみにしている。カウンセラーが。

 

私の店には気持ちの弱っている方が主にいらっしゃる。私は専門家ではないのだが、出来るだけ丁寧にお話を伺う事を心掛けている。そして率直な感想を述べたり、自分の拙い経験の引き出しから言える事を引っ張り出したりする。

それしか出来ないからだ。

話を聞いて貰えて良かったと言われたりする。

嬉しいと感じる。店やって良かったなと素直に思える。

時には考える。お客様が帰った後も、場合によっては何日も考える。

そのお客様のその後や、私の声がけや相槌は適切だったのか等の私自身の反省を。

 

そんな、自分自身の気持ちの動きをカウンセラーに吐露する。

私は知っている。カウンセラーは話を聞く事しか出来ないという事を。

アドバイスを求めている訳ではない。話を聞いて貰う。そして気持ちが軽くなる。

カウンセラーは、時には医療側の見解を話してくれたりする。私は自分のしている事と医療の境目について考えたりする。

そして、カウンセラーとその話をする。意見交換をする。

 

おこがましい勘違いの可能性もあるが、きっとカウンセラーも私の話から色々なヒントを得ていると思われる。

私はというと、いつしかカウンセラーからカウンセリングの極意を盗みとろうとするようになった。

 

私はこれからも多くの方のお話を伺いたい。自分の店のカウンターで。

専門家ではないのだが、これからも『話を聞いて貰えて良かった』と言って頂けたら嬉しい。

私のやっている事は決して医療ではなく、福祉的要素が色濃い。

 

江戸川区の片隅でカフェを営んでいる者です。

よかったらあなたのお話聞かせて下さい、お待ちしております。